遠いあの日 「50年前の“今日”へ」 西舞鶴
45年前の緋牛内に思いを馳せている内に、今年が蒸機撮影開始から50年の節目の年であることをうっかり忘れていて、記念すべき最初の「50年前の“今日”」が既に過ぎてしまっていることに気がついた。その蒸機初体験の日は古ぼけた蛇腹式の6x6判スプリングカメラでの撮影だったが、その次の2回目は、父が購入したばかりの我が家初の35mmカメラを携えての撮影行となった。
2回目の目的地は、山渓カラーガイドの「蒸気機関車の旅」か、キネ旬「蒸気機関車」の別冊だったかを穴の開く程読んで、宮津線と決めたような記憶がある。理由は単純で、1月の生まれて初めての蒸機撮影で出会ったのはD51一形式のみだったので、西舞鶴まで行けばもっと沢山の形式が撮れそうだったから。小浜線経由なので、先ずはその道中でミニデゴイチ的なC58を拝むことができる。
昭和45年3月21日(祝)。10時前に父と一緒に西舞鶴に降り立ち、すぐにC58牽引の宮津線323レに乗り換えると、最初の駅、未だ雪の残る四所で走行写真を撮るべく下車した。ここで客324レ・325レを牽くC58を捕捉したところまでは想定通りだったが、ビッグサプライズは、326レのC5711との遭遇。宮津線の客レは全て豊岡区のC58の仕業とばかり思っていたが、門デフ・集煙装置・重油併燃という出で立ちの11号機との邂逅は衝撃的だった。
すぐに西舞鶴へ取って返すと、いるわいるわ蒸機がゴロゴロと。宮津線用のC58・9600だけでなく、小浜線に入るC58、舞鶴線白鳥峠へ挑まんと爆煙で発車するD51、そして舞鶴港線と入換用のC12まで・・・架線のないだだっ広い構内のそこかしこから煙が上がって、絶えず汽笛とドラフトが聞こえてくる。そうこうしているうちに陽も傾き、先程のC5711も客327レを牽いて豊岡に向けて戻っていった。
さて、一気に五形式の蒸機と出会えた煙三昧の一日。そのフィナーレは、C58の息遣いを子守唄に小浜線937レで敦賀まで2時間半の夜汽車の旅だ・・・
2回目の目的地は、山渓カラーガイドの「蒸気機関車の旅」か、キネ旬「蒸気機関車」の別冊だったかを穴の開く程読んで、宮津線と決めたような記憶がある。理由は単純で、1月の生まれて初めての蒸機撮影で出会ったのはD51一形式のみだったので、西舞鶴まで行けばもっと沢山の形式が撮れそうだったから。小浜線経由なので、先ずはその道中でミニデゴイチ的なC58を拝むことができる。
昭和45年3月21日(祝)。10時前に父と一緒に西舞鶴に降り立ち、すぐにC58牽引の宮津線323レに乗り換えると、最初の駅、未だ雪の残る四所で走行写真を撮るべく下車した。ここで客324レ・325レを牽くC58を捕捉したところまでは想定通りだったが、ビッグサプライズは、326レのC5711との遭遇。宮津線の客レは全て豊岡区のC58の仕業とばかり思っていたが、門デフ・集煙装置・重油併燃という出で立ちの11号機との邂逅は衝撃的だった。
すぐに西舞鶴へ取って返すと、いるわいるわ蒸機がゴロゴロと。宮津線用のC58・9600だけでなく、小浜線に入るC58、舞鶴線白鳥峠へ挑まんと爆煙で発車するD51、そして舞鶴港線と入換用のC12まで・・・架線のないだだっ広い構内のそこかしこから煙が上がって、絶えず汽笛とドラフトが聞こえてくる。そうこうしているうちに陽も傾き、先程のC5711も客327レを牽いて豊岡に向けて戻っていった。
さて、一気に五形式の蒸機と出会えた煙三昧の一日。そのフィナーレは、C58の息遣いを子守唄に小浜線937レで敦賀まで2時間半の夜汽車の旅だ・・・
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